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吉田松陰、東国遊歴の旅

吉田松陰、東国遊歴の旅

水戸

水戸

吉田松陰は肥後人の宮部鼎蔵らと国防についての認識を深めようと、東北へと旅立ちます。
最初に立ち寄ったのが水戸です。おそらく筑波山を見ながら水戸へと向かったことでしょう。水戸藩は吉田松陰を始め、幕末の志士たちの心のふるさとでした。

白河

白河

白河から陸奥の始まりです。写真は関東と陸奥を隔てる「堺の明神」です。豊臣秀吉によって造られた比較的新しい街道で、吉田松陰の時代も関東から陸奥へはこの街道を通ったと思われます。
松尾芭蕉もそうですが、陸奥へと旅立つ人は白河で思いを新たにします。

会津若松

会津若松

吉田松陰のこのときの旅は、白河から会津若松を通り新潟へと抜けました。松陰の死後の幕末の時代、会津藩とその配下の新撰組は長州人を多数殺しました。また戊辰戦争では長州人を主力とする官軍の総攻撃を会津藩は受けました。

新潟・佐渡

新潟・佐渡

新潟に立ち寄った後、出雲崎から佐渡に渡りました。
写真は出雲崎で生まれ育った良寛の生家跡です。時代から言えば良寛は松陰の前の時代の人で、松陰とは同時代の長岡藩士の河井継之助などが良寛さんを尊敬していたと言われています。

後世、名文家といわれた松陰も良寛に関心が有ったかもしれません。

津軽・碇ヶ関

津軽・碇ヶ関

津軽と秋田の国境の矢立峠を越え、碇ヶ関にはいるとき、吉田松陰は「いよいよ進みていよいよ濶く(ひらく)」と表現しています。
当時、碇ヶ関には関所があり、現代ではそれが再現されています。

弘前

弘前

弘前城下の伊東梅軒(広之進)を訪ね、国防についての意見を交わしました。

松陰林道(増泊林道)

松陰林道(増泊林道)

弘前から津軽半島を北上した吉田松陰は、北端の竜飛崎を目指して歩きました。当時は道などはなく、沢を登り降ったようです。現在では松陰が歩いたと言われる道程近くに増泊林道が開設されています。林道の入り口付近には吉田松陰の石碑も建てられています。

竜飛崎

竜飛崎

苦労の末に竜飛崎にたどり着いた吉田松陰でしたが、ここからエルものは少なかったようです。
しかし、3月下旬という残雪がまだたっぷりと残る津軽半島を、ここまで歩いてきたという情熱に、凄味を感じます。この情熱が高杉晋作や久坂玄瑞に伝わり、明治維新の原動力の一つとなったのかもしれません。

仙台

仙台

津軽を後にして、盛岡を経て仙台へと来ました。戊辰戦争の時、仙台藩は最初勤王(官軍)側に立つことを決めていましたが、官軍が派遣してきた参謀が人徳の無い人物で、この参謀のために元々同情を寄せていた会津藩(旧幕軍)側に立つことになりました。

この時の参謀が長州藩出身の世良修蔵でした。

館林

館林

仙台を後にして日光を経て、館林へと至りました。日光から館林までは日光街道ではなく、例幣使街道を歩いたのかもしれません。
館林は丁度春に通っているので、ひょっとすると桜やツツジが満開で、冬の東北を歩いてきた松陰の心を和ませたかもしれません。

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