ツーリングトーク バイク談義

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坂本竜馬 -竜馬がゆく-

坂本竜馬 -竜馬がゆく-

竜馬の旅の足跡

竜馬の旅の足跡

歴史上の英雄で、最も人気が高い人物の一人は坂本竜馬でしょう。
司馬遼太郎さんの著作、「竜馬がゆく」が出版されて以降、竜馬の人気は不動になりました。
現在でも映画、ドラマ、コミックの主人公としてしばしば取り上げられています。

竜馬の一生は旅だった、と司馬さんは書いていますが、これはツーリングの題材にもってこいの人物です。人気の他に旅好きと言うこで、最初に坂本竜馬を取り上げました。

竜馬の旅の略歴は下記の通りです。
土佐高知に生まれ、江戸(東京)で剣術の修行をし、やがて故国に帰国、数年して脱藩、下関や大阪を経てまた江戸に舞い戻ってきました。

その後、神戸に海軍塾を造るものの、幕府により閉鎖させられてしまいます。しかしすぐに長崎に事務所を置いて貿易事業に乗り出します。この組織が後の海援隊に発展して行きます。

最期の地は京都。友人の中岡慎太郎と共に、暗殺者の手に掛かって果てました。

視点を変えて竜馬の道を見る 東海道

視点を変えて竜馬の道を見る 東海道

竜馬の足跡は日本のあちこちに記されていますが、東海道は最も良く利用したルートでしょう。時に徒歩で、時には船で移動していました。

東京から四国ツーリングに出かけると、徳島や香川に着いたときに四国の土を踏んで、なんとなく竜馬が身近に感じてくるのではないでしょうか?
予定するルートはおそらく、東京から三重までが東名高速、三重から和歌山までが一般の国道(名阪国道含む)、フェリーで徳島へ渡り、徳島から吉野川に沿って上流部にすすみ、大歩危小歩危の景観を見ながらやがて高知市を目指すというものになるでしょう。

このルートで出発する前に、発想をちょっとだけ変えてみましょう。
高知平野に入れば竜馬の故郷ですから、竜馬が群と身近に感じられるのは当たり前ですが、出発の東京から竜馬の通った道を百数十年後に自分が改めて通ると考えます。
これで退屈な移動区間の東名高速も多少は興味深いものになるのではないでしょうか?

東名高速から見える箱根峠、富士山などの外観は当時も今も違いはありません。蒼天にそびえる富士を見ながら竜馬は何を思ったのか。箱根の険路を越えたときと脱藩するときに峻険な四国の脊梁山脈を越えたときとどちらがつらかったのだろうかと、色々想像できます。

普段バイクを使って、東京と横浜、静岡と清水などを通勤で往復しているのなら、毎日竜馬の道を走っていると時に思い浮かべるのも楽しいかもしれません。

竜馬脱藩の路(その1)

竜馬脱藩の路(その1)

坂本竜馬は二十代の半ばで土佐藩を脱藩しました。
以後薩長同盟を成立させたり、日本初の株式会社海援隊を組織したりなど、大活躍をします。

その竜馬が脱藩したルートは、有志の方の手で詳しく調べられていて、竜馬記念館を訪れた方なら檮原町から愛媛県の河辺町、久万町へと通じるちずを見たことでしょう。

河辺村の県道55を走っていると、山側に向かって竜馬脱藩の道と書かれた看板がいくつか有ります。この看板に沿って山側に伸びる林道に入って行くと、やがて本線からはずれた荒れた支線に竜馬脱藩の道が向かっています。最後には林道からはずれて山の上の方をさして竜馬脱藩の道は向かっています。

掲載した画像は竜馬が脱藩したと言われる、愛媛県と高知県の境の山間部です。点在している集落を避けながら、急峻な山を越えたのでしょう。

竜馬脱藩の路(その2)

竜馬脱藩の路(その2)

竜馬が脱藩したときに実際に歩いた道に造られている林道です。
河辺村の小さな集落をつなぐ村道や林道からさらに奥深く入った所にあります。

この一帯の林道には竜馬の脱藩のルートが解説と共に掲げられています。Y字路の真ん中の白い標識がそうです。

竜馬脱藩の道(その3)

竜馬脱藩の道(その3)

檮原から川辺、久万の山岳地帯を走ってみると、すごく山深く人煙希な所であることが分かります。

竜馬は脱藩するわけですから、人の住む集落には近づけません。当然、村人が普段利用している道も通れないので、木こりが通るソマミチは文字通りの獣道を利用して急峻な四国の山脈を上り下りして進みました。

写真は今も残るその脱藩の道です。

関門海峡(馬関海峡) -馬関戦争-

関門海峡(馬関海峡) -馬関戦争-

竜馬は西日本を中心に旅を重ねましたが、1度だけ戦争に参加しています。
ここで紹介するのは幕末に起きた四境戦争(長州藩と幕府の戦争)の中で、唯一海戦が発生した関門海峡です、当時は馬関海峡と呼ばれていました。

竜馬は艦隊を率い幕府艦隊と砲撃戦を演じたり、小倉の幕府陸軍に対して艦砲射撃を行いました。

関門海峡は古くは源平の昔の壇ノ浦の戦いから武蔵小次郎の巌流島の決闘などが行われてきましたが、竜馬の活躍した四境戦争以後は直接には戦争とは縁のない平和な交通の要所となりました。
(注:第二次大戦の機雷による閉鎖等は除きます)

竜馬直筆の馬関戦争の手紙

竜馬直筆の馬関戦争の手紙

高知県の桂浜にある竜馬記念館には直筆、複製の竜馬の手紙が数多く展示されています。

その中には有名な(?)えへんえへんの手紙などもあります。
写真は馬関戦争を伝えた竜馬の手紙です。
上下左右から描き、界線の模様を克明に描き出しています。

ジョン万次郎

ジョン万次郎

中浜万次郎、通称ジョン万次郎は足摺岬の中浜で生まれ育った漁師でした。

出漁中に時化に遭い、漂着した無人島でアメリカの捕鯨船に救助されて以後、アメリカ三界を渡り歩き、ペリー提督来航の直前、琉球経由で日本に帰国した経歴を持っています。

当時土佐にはジョン万次郎の見聞を河田小龍が書き残した「漂巽紀畧(ひょうせんきりゃく)」があり、当然竜馬も読んでいます。

後年竜馬は、海舟勝隣太郎の門弟となって開国主義を標榜しますが、その下地は土佐に在住の時、すでにありました。

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