2002/04/11 131 km 天候:雨のち曇り
知念−首里城−玉城−勝連
首里城
朝から降っていた雨がようやく上がり、カッパ無しで首里城を見学することができた。
首里城の入り口には琉球の衣装をまとった女の子が多数立っている。華やかな衣装は琉球王朝の末裔達にふさわしい。ビジターセンターで一通りの知識を得た後、門をくぐって行く。
城壁は高く美しい。いくつか有る門をくぐって行くと主殿の広場へと至る。広場は思っていたよりもだいぶ狭い。ここから先、主殿の内部を歩いて行くのだが、道前ながら土足では上がることはできない。ブーツを手に持って歩くのだが、これはそうとうにきつかった。
首里城の周辺
玉稜から円覚寺と見て回る。
玉稜は残念ながら資料館が工事中、王墓は町中にあるにもかかわらず深閑としていて尊厳を感じる。
円覚寺の門で祈りを捧げている人を見かける。
首里城の南側に古い石畳の道が現存しているのだが、この道はバイクで走るのはかなり危険。雨上がりと言うこともあり路面はとても滑りやすく、勾配は急で、しかも人通りが多い。
識名園は小ぶりの回遊園。雨後だったので歩道はヌタヌタで残念だった。中心にある池に建つ建物は、風情有る琉球王朝の遺構。
識名園の入り口にある東屋で子供が二人、沖縄弁で話していたが、何を言っているのか一言もわからなかったのがうれしい。方言は文化でもあるので、方言が使われなくなって行くことは悲しいからだ。
津軽弁、熊本弁なども話しかけられると意味不明で弱ったが、これに沖縄弁が新たに加わった、喜ばしいことである。
玉城と勝連
沖縄は琉球王朝の末裔ととらえがちだが、玉城と勝連は中世、本島内での紛争の後を見ることができる。
玉城城は良く整備されていて入場料もしっかりと取られる。城の規模は大きくて見晴らしも良い。首里城は別格として、本島ではかなり規模の大きな城でもある。
この玉城城は勝連城の付け城として建造された。付け城とは敵の拠点を攻撃するときの拠点となるための物だ。築城は護佐丸とされていて、のち勝連城主に暗殺される悲劇的生涯と併せて、ずいぶん人気がある。
一方の勝連城の跡は急峻な山の頂に残されている。案内の標識は目立たなく、駐車場はない。草の生えた広場にてんでにクルマを停めるようになっている。わずかに残された城壁の上に立つと中城湾を一望できる。
勝連城は首里城を中心とした勢力に敵対していてなかなか強かったが、護佐丸の子孫に滅ぼされたという。このため、本島では英雄の護佐丸もこの勝連城でだけでは勝連城と対立した優秀な指揮官としてとらえられているが、礼賛はしていない。
地図を見ればわかるとおり、勝連は大規模な勢力を養う農地は無い。その勝連が首里城と対峙できたのは交易からの利益だと言われている。
一方、玉城城はその立地からも軍事的な物だったと思われる。
野営地
勝連を後にして具志川にはいると、とたんに先に進まなくなった。とにかく道が混んでいる。石川あたりまで混雑は続いていた。すでに日没の時間となってきたので、本島を横切る県道に入り、山中で野営。
南部の丘陵地帯をゆく
知念から内陸部を那覇へ伸びている県道86に入る。南部は小高い丘陵地帯となっていて、なかなか良い景観が続く。知念、玉城は道がすいていたが大里にはいると混み始めた。
首里城に着いてから駐車場を探すが、どの駐車場もバイクは止めることができないと言うので、弱った。