2002/04/16 277 km 天候:晴れ
玉城−首里−具志川−海中道路−恩納
海軍司令部跡
首里に向かう途中、沖縄戦当時の旧海軍司令部の跡地を訪れる。深く網の目のように掘られた地下要塞だが、食料や医薬品がほとんど無く、連日昼夜を問わず砲爆撃を受けながらこの中にこもる人の気持ちは、現代人にはちょっと想像が付かない。沖縄戦の当時はこの狭い通路に傷病兵が折り重なって寝ていたという。
沖縄戦の末期、昭和20年6月頃には武器や弾薬もなくなり、信じられないことだが木の枝にナイフ(銃剣)を巻き付けた手製の「槍」などが主要な武器だった。槍を持った兵士は、近代戦では戦力とは呼べないと思えるが、敵軍に降伏することが認められていないうえ、本土決戦の準備の時間稼ぎをするために持久作戦をとらされたため、このようなことが起きた。
首里
首里で昼食をとったあと、首里城前にあるたこ焼き屋で2パックを購入するが、値段の安さにはいつもながら驚かされる。たこ焼きが1パック150円。
この首里は今では那覇市の一部だが、かつては首里は山の手、那覇は庶民の町と区別していた。
海中道路
那覇から具志川まで高速を利用。
具志川で日が暮れるまで、洗濯をしたり、バイクのメンテナンスをしたりして時間をつぶす。
7時近くになると薄暗くなってきたので、海中道路を目指す。すでに一度走っている道なので地図を見る必要もない。
予定通り、海中道路に着いたのは完全な日没後。周辺にあるコンビナートや島の景観を楽しんだ跡、恩納の峠道にある空き地で野営。
タイヤ交換
糸満市の平和公園の奥にある使われていない駐車場でリアタイヤの交換を行う。所要時間は1時間半ほどだったが、ひっきりなしに警備員が監視に来たのには参った。それほど怪しげだったのか??
朝方はすごい濃霧のため出発が遅れ、タイヤ交換を始めた頃はまだ涼しかったが、1時間半もたつと肌が焼けるような暑さとなる。この指すような日差しが4月中旬なのだから驚く。