八甲田山雪中行軍のルートをたどる
- 投稿者:うーたん 青森県
- (投稿日:2004/08/13 / 更新日:2004/08/13)
青森市と十和田町を結ぶ県道40はそのまま明治時代の八甲田山雪中行軍の道順でもあります。
青森市内の兵舎を出発し、大峠、小峠、三本木を経て田代平から十和田町へと進む予定でしたが、天候の急変で登山史上の最大の事件と言われる遭難にあいました。
写真は県道40の大峠から田代平へ至るところのものです。
雪中行軍遭難の碑
- 投稿者:うーたん
- 投稿日:2004/08/13
青森市から県道40を南下すると最初に目にとまるのが雪中行軍遭難の碑です。
碑のそばには墓地が隣接しています。
後藤伍長発見の地
- 投稿者:うーたん
- 投稿日:2004/08/13
のちに銅像となる後藤伍長が発見された場所です。
県道40と県道44の交差点から八甲田山に向かって僅かに9.7kmの所です。
後藤伍長像
- 投稿者:うーたん
- 投稿日:2004/08/13
大峠と田代平の丁度中間に後藤伍長の銅像が建っています。銅像は明治時代に建てられたものです。
鳴沢第二野営地
- 投稿者:うーたん
- 投稿日:2004/08/13
県道44から14.3kmの所にある鳴沢が2日目の野営地でした。鳴沢が当時の面影を残しているならば、自然林が密集して殆ど視界の効かないこうした沢と尾根を上り下りしていく困難さが伝わってきます。
田代平
- 投稿者:うーたん
- 投稿日:2004/08/13
田代平からみる八甲田山です。
数名の兵士がここまでたどり着いたと言われています。