十勝牧場の白樺並木と展望台
- 投稿者:うーたん 道東(太平洋)
- (投稿日:2003/09/01 / 更新日:2003/12/19)
十勝平野の北より、音更町に十勝牧場はあります。
北海道ならではの面積の広い雄大な牧場ですが、一般の入場を規制していないのがうれしいです。
道道133に有る入り口を入ると見事な白樺並木が1km以上続きます。路面はダートですが、やや砂利が深いものの、オンロードバイクや乗用車での通過も可能なほどフラットです。
白樺並木を過ぎていくつか交差点を経ると展望台に至ります。交差点には全て展望台の方角が記されているので、道に迷う心配はありません。
展望台
襟裳岬
- 投稿者:うーたん 道央
- (投稿日:2003/12/19 / 更新日:2003/12/19)
襟裳岬は江戸時代から海の難所と言われていました。
昭和に入ってからは広漠としていた襟裳岬に植林をして緑豊かな台地としたことが知られています。
この岬が有名となったのはもちろん森進一さんの「襟裳岬」が大ヒットしたからですが、「襟裳岬」が発売された当時、えりも町の人たちは「えりもの冬は何もない冬です」の歌詞に激怒し、「なにもないとはなんだ!!」とさんざんにクレームを申し立てたそうです。激怒し、文句を言っていた「襟裳岬」が現在ではえりも町の観光に大いに役立っていることは、とても興味深いです。
襟裳岬は海の難所なので当然ながら灯台がありますが、霧が深いときは役に立ちません。そうした深い霧が発生したときのために大きな音を出して船に岬の存在を知らせるスピーカーが備え付けられています。
襟裳岬の遊歩道
サラブレット街道(新冠町)
- 投稿者:うーたん 道央
- (投稿日:2003/09/02 / 更新日:2003/12/19)
新冠町から静内町にかけては競走馬の牧場が多数あります。
新冠川から静内川にかけては平野が広がり、見晴らしがとても良く、広大な敷地の牧場を一望できます。
道北や道東の牧場は主に牛が飼育されていますが、ここは競走馬が飼育されているので、同じ牧場といっても雰囲気や景観がまるで違います。
ここを訪れた1999年夏には往年の名馬、シンザンがまだ健在でした。
一歩入ると周りは牧場
地獄谷(登別)
- 投稿者:うーたん 道央
- (投稿日:2003/12/19 / 更新日:2003/12/19)
倶多楽湖の西にあるのが地獄谷です。
道道350から見ることが出来るので歩く必要はありません。
昭和新山や有珠山という高名な観光地が近くにあるので目立ちませんが、地獄谷の景観もまたすばらしいものがあります。
十勝平野の北の端の扇ヶ原展望台
- 投稿者:うーたん 道東(太平洋)
- (投稿日:2003/09/19 / 更新日:2003/09/19)
然別湖と鹿追町の中間にある白樺峠の少し下に扇ヶ原展望台があります。トイレも有るので休憩によるにも便利です。
十勝平野を一望する展望台では十勝牧場の展望台も良いですが、より高所からの眺めも格別です。
ただ、北に寄りすぎているので、平野の南部がいつも香住で隠れてしまっているのが残念です。
然別湖と駒止湖
- 投稿者:うーたん 道東(太平洋)
- (投稿日:2003/09/19 / 更新日:2003/09/19)
鹿追町から糠平湖にかけて、秘境的な観光地が道道85に沿って数珠のように連なっていますが、一番の人気は然別湖でしょう。
湖にはボートなどもこぎ出していて秘境という雰囲気は薄ですが、温泉の周りを除くと人の気配はまばらです。
それと、すぐ近くにある駒止湖がわたしは好きです。
こちらは立ち止まる観光客もほとんど居ません。身近に訪れられる秘境と言った所でしょうか。
上士幌航空公園
- 投稿者:うーたん 道東(太平洋)
- (投稿日:2003/09/19 / 更新日:2003/09/19)
午前6時頃の上士幌航空公園です。
早朝は空気が澄んでいて、かなり遠くまで見渡せます。地上を蹴り立ったばかりの気球と遠くにはっきりと見える山並みのコントラストは美しいの一言です。
これで音もなく気球が浮かんでいれば、さらに静寂の美しさも加わるのですが、残念ながら熱気球はガスバーナーの音を四方八方に響き渡らせながら上昇して行きました。
あやめが原(チンベノ鼻)厚岸
- 投稿者:うーたん 道東(太平洋)
- (投稿日:2003/09/03 / 更新日:2003/09/03)
厚岸と根室をむすぶ海岸道路、北太平洋シーサイドライン(道道123)の厚岸側にあやめが原が有ります。
道道に面した入り口には大きな駐車場があり、トイレもあるので休憩に立ち寄るには最適です。
道道からチンベノ鼻の展望台までは1kmほどの遊歩道を歩きます。馬が放牧されていて、人間を全くおそれる風がなく、すぐ脇をのそのそと歩いていたりします。
チンベノ鼻は断崖の上に立ち、太平洋を一望できます。
銀泉台(大雪山観光道路)
- 投稿者:うーたん 道央
- (投稿日:2003/09/02 / 更新日:2003/09/02)
大雪山の東側にある大雪山観光道路(道道212)の行止箇所の直前に銀泉台はあります。
大雪山観光道路は8月でも路肩に残雪が残っていて、高度を上げるに従い急激に気温が下がって行きます。
銀泉台は小さな駐車場と広場があるだけの展望台とも呼べないようなものですが、景観は見事です。
広場からの視界を遮る木立を切り払ってあるので見晴らしが良く、荒々しい山塊や、山のすそ野に広がる原始の森が視界いっぱいに広がります。
大雪山観光道路の行止箇所は大雪山への登山口となっていて、山小屋もあります。この山小屋にはエゾリスが住んでいて、山小屋の軒下からちょろちょろとはい出して愛嬌のある姿を見せてくれます。
宗谷岬(間宮林蔵)
- 投稿者:うーたん 道北
- (投稿日:2003/09/02 / 更新日:2003/09/02)
北海道を訪れるライダーが必ず目指す地は、第一はこの宗谷岬でしょう。わたしも第1回、第2回の北海道ツーリングは宗谷岬を目指して北上したものです。
宗谷岬には日本最北の地の記念碑の他、写真の間宮林蔵の銅像も建っています。間宮林蔵は間宮海峡の発見者ということからも分かるとおり、北海道(当時は蝦夷地)や千島列島などの北方探検家として歴史上に大きな足跡を残しています。
ところで間宮林蔵が隠密だったと言うことは余り知られていないようです。誰もが知っている重大な事件の当事者でした。
1800年代にドイツ人のフォン.シーボルトが来日して鳴滝塾を長崎で開設し、江戸時代の日本の医学の発展に大きく貢献したことは、皆さんご存じと思います。
そのシーボルトが帰国するとき、伊能忠敬が作成した精密な日本の沿岸地図を極秘裏に持ち出そうとしたことを、間宮林蔵は突き止めました。当時の法律では日本の地図を国外へ持ち出すことは違法行為でした。
国の沿岸地図というのは、江戸時代後期にでは日本に限らず国防上の機密と言えました。例えば精密な日本の沿岸地図が有れば、軍用艦で日本の港という港に容易に進入して、港町を大砲で焼き払うこともできるようになります。
(ただし実際には地図だけでなく、将軍からある人が拝領した品々をシーボルトが手に入れていた、等の余罪もあり、むしろこちらのほうが罪が重かったとも言われています)
シーボルトは複数の地図を手に入れていたので、没収されなかった地図はヨーロッパに渡り、その精密さはヨーロッパの研究者達を驚嘆させたそうです。
間宮林蔵は偉大な探検家でしたが、本人は隠密の仕事こそ我が人生をかけるに足りると考えていたそうです。ちなみに間宮林蔵は伊能忠敬の弟子として、北海道の沿岸地図の作製にも関わっていました。