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山内一豊と千代-功名が辻-

山内一豊と千代-功名が辻-

高知城

高知城

山内一豊(やまのうちかずとよ)は今の岐阜県、当時の美濃の国の生まれです。

豊臣時代に掛川城を有していましたが、関ヶ原の合戦の功により土佐一国27万石を有するようになりました。

高知城は一豊が着工し数代後に完成しました。
一豊の代は高知城下は水はけが悪く、城下町の整備はずいぶんと苦労したと伝えられています。

山内一豊

山内一豊

山内一豊は江戸時代から現在に至るまで、きわだった特徴のない武将として描かれています。

一豊が後世に語り継がれているのは、戦前の教科書にまで掲載されていた妻の千代の賢妻ぶりからです。

ただ、豊臣秀吉が遠州掛川で6万石、徳川家康が土佐一国27万石を与えたと言うことは、奥さんがしっかりしているからということももちろんあったでしょうが、一豊に武将としての器量も当然有ったはずです。

戦国から江戸時代初期までは、能力のない武将に大封を与えると言うことは、身内に対しての例を除くと殆どありませんでした。

千代

千代

千代の銅像も立っていました。
伝承の通り、馬を引いています。

千代は一豊が老馬にまたがって戦場を疾駆していたので、嫁ぐときに両親からもらってあったへそくりで名馬1頭を買い求め、一豊の乗馬としたと伝えられています。

この話は織田信長や羽柴秀吉の耳にも入り、そんな夫婦がいるのかと、当時も評判が高かったそうです。

郡上八幡城の一豊の妻

郡上八幡城の一豊の妻

山内一豊と千代の夫婦を主人公とした小説には他に、「一豊の妻」という永井路子氏の著作の高名な作品があります。「功名が辻」とは対照的な作品で、一豊が切れ者と描かれているのに対して平凡な女性として描かれています。

その千代の銅像が郡上八幡城の中程にあります。
銅像に書かれた説明では千代はこの城の城主の遠藤氏の娘だそうです。

長浜城

長浜城

小牧長久手の戦いの後、山内一豊が初めて城持ちの大名となったのが長浜城です。
一豊の前の城主は羽柴筑前守、後の豊臣秀吉でした。このためか、現在の長浜城に一豊の痕跡は全くなく、城のある公園の名前も豊公園となっています。秀吉が築城して、一豊も住んだ長浜城は関ヶ原の合戦の後に、徳川家康によって破棄されました。

遠州掛川城

遠州掛川城

遠州掛川6万石、豊臣秀吉の小田原攻めの後に徳川家康を関東に移封してから、豊臣秀吉に山内一豊が貰い受けたものです。一豊にはきわだった戦場働きはなく、政治的な手管もなかったので6万石に落ち着いたものと思われます。一豊や千代にとっては領内や家臣団を隅々まで見ることのできた、一番良い時代だったかもしれません。

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