浜口雄幸生家
昭和初期、日本が軍部による独裁から第二次大戦へ突き進んでいく原因がこの時代にあります。
浜口雄幸はこのときに首相を務め、ロンドン海軍軍縮条約や金本位制への復帰とうを実行しました。
しかし、その最後は暗殺されるという悲劇で幕を閉じます。
浜口雄幸生家は土佐市郊外、五台山の麓にあります。
わずかに車1台が止められるだけの小さな駐車場が象徴するように、訪れる人は希です。
浜口家はもともとは室戸岬の付け根の奈半利川河口にある田野の郷士でした。江戸時代の中頃に郷士から上士待遇の白札に身分をあげられました。
白札といえば、土佐勤王党の武市半平太の武市家も白札です。
高知市内の生家、田野町の旧宅もともに家の造りは郷士のものです。
高知市の名勝、五台山の山頂付近に浜口雄幸像が建っています。
土佐の郷士の末裔、浜口雄幸が坂本竜馬や土佐勤王党の持っていた「人民救済」「民権主義」の思想を受け継いでいたとしても不思議ではないのかもしれません。
浜口雄幸の実行した金本位制への復帰はのちの世界経済を考えると直後に世界恐慌が起きるなど失敗といえますし、ロンドン海軍軍縮条約の締結も、結果的にはそれまで陸軍と一線をかしていた海軍にも統帥権独立を唱え、下克上の風潮を増長させてしまった上、10年後に条約は破棄、その後第二次世界大戦へ向かって突っ走ってしまったことを思えば、これも成功とは言い難いでしょう。
しかしこれは後世、歴史を知る我々だからいえることで、金本位制復帰の当時、ロンドンのシティーやニューヨークのウォールストリートをはじめ世界中が日本の金本位制への復帰を歓迎しました。
また、ロンドン海軍軍縮条約の締結も、その前に締結されていたワシントン海軍軍縮条約と合わせ、無制限の軍備拡張による軍事的緊張の緩和、偶発的な戦争勃発の軽減など、条約締結当時は世界的に評価の高いものでした。
こうした多国間の軍縮条約の先例があることで、冷戦から現在に至る核兵器削減の各条約や地雷廃止の条約も実現したといえるかもしれません。
H.N.うーたん(Yuichi Mizunuma)
当サイトの執筆・撮影とシステムの製作等全てを行っています。林道への案内板やクライミングトークのWebMasterでもあります。使用バイクのジェベルXCは1997年型、2002年型と乗り継ぎ、三台目の2004年型のジェベルXCを売却して、現在はバイクツーリングには行っていません。、これまでのツーリングの総走行距離は約21万kmです。
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2013年まで、春夏秋冬、北海道から九州沖縄まで、ツーリング・登山・サイクリング・パドリング(カヤック)をしています。年間のテント泊数は40泊から60泊程度、日帰りを含めると年間80日くらいはアウトドアにいました。
現在は東京都八王子市高尾に在住しています。オートバイから少し離れていて、主に登山とサイクリングを趣味にしています。
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